5月12日は看護の日とされています。これは1820年5月12日がナイチンゲールの誕生日だからです。ナイチンゲールは「近代看護教育の母」とも呼ばれていて、ナイチンゲールの死後100年以上経った今でもナイチンゲールの看護観は現代看護の基本として大切にされています。

ナイチンゲールの生い立ち

フローレンス・ナイチンゲールは1820年、現在のイタリア中部に位置するトスカーナ大公国のフィレンツェで生まれました。両親はイギリス人で、フィレンツェには旅行で訪れていたことから、フィレンツェを英語読みしたフローレンスと名付けられました。

ナイチンゲール一家は非常に裕福で、ナイチンゲールは恵まれた環境で教育を受けることになります。一方で、慈善活動として貧しい人々にも接しており、幼い頃から「奉仕」をすることに対して志を持ち始めます。

当時の看護婦は病人を世話する召使いという立ち位置にすぎず、医学的な素養も必要とされない低い身分の女性の仕事という認識でした。それでも、ナイチンゲールはロンドンで看護婦として働くことを決意します。

ナイチンゲールを語る上で欠かせないのが、1853年から1856年にかけて起きたクリミア戦争です。2023年現在でもクリミア半島はウクライナとロシアの間で紛争地域となっている地域ですね。クリミア戦争は両陣営が戦争継続が不可能となって終結するという、事実上戦勝国の無い戦いであり、両軍とも約50万人の損害を出すという凄絶なものでした。

ナイチンゲールはこのクリミア戦争の従軍看護婦として志願しました。

クリミア戦争での兵舎病院は悲惨なもので、医療物資不足だけでなく、トイレの管理がずさんであるなど感染症対策が全くとられていませんでした。ナイチンゲールはこの衛生環境の改善に取り組み、兵士の死亡率を各段に改善することに成功しました。

戦争後、ナイチンゲールは心臓発作で倒れてしまい、その後は看護師として活動することはせず、1910年に亡くなるまでの50年間をほとんど著作に費やします。このときの『看護覚え書』は現代でも読み継がれている看護にとっての大切な著書となっています。

『看護覚え書(Notes On Nursing)』とは

ナイチンゲールの著書『看護覚え書』とは、病人が看護するにあたっての指標を示したもので、看護学・看護教育学にとって非常に重要な書物です。「病気とは回復過程の一つである」「患者の生活環境の改善を欠かさないようにする」「統計・論理に基づいた看護を行う」といったことを主軸に置いています。精神論や、奉仕の至上主義に頼ることなく、看護師自身の医学的な知識、正確な統計、看護師自身の環境改善も大切にしています。

この本が書かれたのは160年以上も前の1860年のことです。この160年は、科学技術の発展・医療技術の発展ともに、人類の歴史の中で最も進歩した時代だということができるでしょう。もちろん、看護技術の進歩も例外ではなく、現代でも飛躍的な進歩を続けています。

しかし、ナイチンゲールの提示した指標は今でも色褪せるものではなく、むしろ時代がどのように進歩したとしてもぶれてはいけない看護の精神を提示してくれています。

看護の日に看護について考えてみよう

現在看護師をされている方、看護師に復職しようと思っている方は多いと思います。自分自身のスキルアップに精を出している方や、日々の多忙の中で看護職に対して疑問を抱いている方もいらっしゃるでしょう。

毎年訪れる5月12日、看護の日に看護について、一旦立ち止まって考えてみるのはいかがでしょうか。ナイチンゲールの言葉は、看護師のみなさんに寄り添い、あるいは道筋をたててくれるものになるかもしれません。